駅から一日を始め、駅で一日を終える。
ゆりかごから墓場まで。なんちって笑
こんにちわ。FDKです。
私の写真に対する価値観を書いていこうと思います。ただの素人がダラダラ書いてるだけです。よろしくお願いします。
写真には記録と表現、2つの側面があると思います。
前者には正確性や緻密性が求められます。写真という熟語の通り、真実を写すのです。人類はカメラ・オブスクラを発明したときから如何に正確な写真を撮影するかを模索し、2024年現在では24億画素ものカメラを発明しました。ここまで来ると現実がなにか解らなく成ります。
一方の後者は概念が常に変化し続けます。しかし、一貫しているのは何らかのメッセージ性を含んでいるということです。例えば旅行先での風景をはっきりと、写実的(写真に写実的と評するのが正しいかどうかは分からないが)に撮影してみたり。はたまた象徴的な物体を焦点に、風景をぼかしてみたり、陰影をつけてみたり、フィルムカメラでノスタルジアを表現してみたり、色々あるでしょう。撮影者が何を意図し、何を目的として撮影したのか。それを考察するのも表現としての写真の醍醐味なのではないでしょうか。
私が危惧しているのが、先程述べた2つの側面を混同している写真が、作品として受け入れられていることです。世に送り出す作品として、「撮影した私とその仲間たち」みたいな匂いがする写真は私は好きに慣れません。考察する余地がないのですから。思い出の記録としてならば作品展に出してほしくないし、それはただの公開オ◯ニーです。
以上今回の記事でした。
気が向いたらまた書くかもね。